宗教家はニュースキャスターではない

いつも年末に疑問に感じていることがある。それは、「今年の漢字」だ。

楽しみにしている方には申し訳ないが、非常に腹が立つ。

1998年の暮れには「毒」と大きく書かれた。
今年は「偽」だと言う。


恐らくは「字が巧い」という理由で清水寺貫主が書いておられるのだろうが、
失礼ながら貫主様は宗教家として恥ずかしくないのですか?

私なら、頼まれても断る。
その前にやるべきことが山積しているはずです。

別に、今年の世相を伝えるのが僧侶の仕事ではないでしょう。

宗教家はニュースキャスターではない。
少しでも世の中を良くしてください。